ユーラシア大陸横断の旅行記。~中国編:2002年当時のディープな生レポート~

上海 外灘地区 夜景 未分類
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中国は、2002年当時、私のユーラシア大陸横断旅のスタート地点の国。

神戸から中国の上海に上陸しました。

中国では、上海→広州→桂林→南丁 と移動し、ベトナムに入国します。

こちらのページでは、2002年当時の中国での出来事や様子を書いていきます。

山水画で有名な桂林、大衆食堂でも美味しいチャーハン、良心的な人、悪どい人など、

さまざまな時間を過ごしました。

中国での旅のルート

まずは、日本の神戸から中国の上海まで真鑑真というフェリーで向かいました。上海までは48時間です。今現在でも運航しているんですね。

新鍳真(しんがんじん)日中国際フェリー:神戸・大阪/上海(毎週火曜日出航)
新鍳真(しんがんじん)は、大阪・神戸と上海間をウイークリーで定時運航しており、快適な船旅と安全でスピーディーな貨物輸送を提供しています。日本から上海へ。高速フェリーのパイオニア 日中国際フェリー株式会社。

上海に到着し、中国に入国。

上海には1週間ほど滞在しました。

次は、ベトナムの入国ビザ取得目的のためだけに、広州という大都市へ電車で移動。

ビザ取得のため1週間ほど滞在し、その後は、山水画で有名な、桂林へ。ここは、今回の旅で訪れたい観光地ベスト3に入っています。

桂林で絶景ツアーに参加した後は、ベトナムとの国境近くの街、南丁で一泊。

ここで、中国の旅は終了です。やく3週間ほどの滞在でした。

上海の外灘地区は、めちゃめちゃ近代的でした。

上海 外灘地区 夜景

高層ビルが立ち並び、ひときわ目立つのが写真左側にあるテレビ塔。

この周辺では、地方からの中国人の観光客もいました。

日本でいう東京観光ですね。

2002年当時、このテレビ塔の回りはまだ建設中の建物が多かったです。まさに、再開発中でした。

黄浦江河畔沿いに外灘がありますが、観光用の歩道やベンチなどがたくさんあり、中国人で渋滞していました。

 

薬物しないか?と声をかけられる。

なぜか、こんな近代的な観光地であるのに、似合わない悪いことをしている人もいました。

現地で知りあった日本人どうしで、外灘地区を歩いていた時の事です。

中国人ではない中東アジア系の男が、話しかけてきました。

「◯◯いらないか?」と。◯◯は薬物です。

警察に言うぞ、と伝えると、そそくさに逃げていきました。

これだけ人口があれば、悪いことをする人もいて当然なのかな。

広州では、とても親切な中国人青年に出会いました。

ベトナムのビザ取得の目的で訪れた広州という大都会。

ちょうどその時期に広州交易会という世界的な貿易に関するイベントが行われていました。

現地の学生がボランティアで、自分が話せる言語を交易会に来たビジネスマンに(通訳サポートします)とプラカードを掲げてアピールしてました。

(ボランティアと書きましたが、実際にはお金が絡んでいたのかもしれません。)

私は、「こんにちは、日本語話せます」というプラカードもった中国人青年に声をかけてみました。

そこから、彼と仲良くなり、大学を案内してもらい、学生食堂で食事をごちそうになりました。ある教室では、日本のNHKが放送されていました。

日本語の勉強のためだそうです。

 

中国では、観光に携わっている中国人は、本当にぼったくり意識が強かったように思います。

その中で、彼のような純粋な青年に出会って、中国人もまんざらではないな、と感じほっとしたのを覚えています。

山水画で有名な桂林へ。

中国山水画で有名な桂林

この景色、なんとなく見たこともある人もいるのではないでしょうか?

中国の観光地と言えば、桂林と言う人もいるくらいです。

川下りをしながら周辺のとがった山を見るという現地ツアーに参加してみました。

日本からも申し込めるようです。

桂林 川下りツアー

正直言って、観光に携わっている中国人は、お金を取ろうという意識が強すぎて苦手でした。

私は旅行者でしたので、もろに標的にされます。ですので、中国という国はあまり好きになれませんでした。早く、出国したいという想いでいっぱいでした。

ですが、先に話した、広州の青年とこの桂林のおかげで、中国に滞在してよかったと思えました。

桂林で、わざとぼったくりバーに行ってみた話し。

目的の観光も終わって、夜道を歩いていると、観光客狙いの中国人女性が声をかけてきます。

「マッサージどう?」と。

この町に来る前に、いろいろ情報収集していたので、これがぼったくりマッサージだという事はすぐにピンときました。

私はいちど、近くの宿に戻り、貴重品を自室内に隠します。そして、約2000円ほどだけ持ち歩いて再度街を歩きます。

 

案の定、さっきとは別の女性ですが、同じように声をかけられました。

そして、貴重品も置いてきたことだし着いていってみることに。

 

連れていかれた先は、通常の宿泊ホテル内のカラオケルーム。

そこで、まずは食べ物でもどうか?と促されます。

英語で記載されている料金表をよ~く見てみると、特に怪しい表記はなさそうです。

で、ピーナッツとビールを頼むことに。確か、2点で数百円ほどです。

普通に談笑し、その後に「服を全部脱げ」と。

いやいや、ただのマッサージでしょ?全部脱ぐ必要はないよね?

というやり取りがあり、これより先はまずいと思い、「帰る!」と言いその部屋を出ようとしました。

その時に、ドアの外にはごつい女性が。(男性じゃないのか!?)

「お金払いな!」

説明され、料金は法外な価格。

おかしいでしょ?と問うと、先ほどの料金表には「一品頼んだら1万円」という文字が小さく書かれていました。

やられた~(^^;)

でも、2000円しか持ち歩いてなかったけど、その半分ほどの1000円を渡して逃げるように出ようとすると、ツァイツェン(中国語でまたね!)と嬉しそうに言われました。

さらに、

「あっ、傘忘れてるよ」と渡してもらいました。

1000円で十分だったんでしょうね。

 

この後は、ベトナムに向かいます。

中国の外食事情

上海、広州、桂林、南丁と訪問しましたが、中国料理はやはり美味です。

度の街でも、大衆食堂的なこじんまりしたお店、路上には中華まんやスープを売っているお店。

そのクラスの料理でも、美味しかったです。

一度だけ、日本人グループで、中級店に入ってみました。

 

ものすごくおいしかったです。

今でも覚えています。

魚のあんかけ、麻婆豆腐、何かのお肉の野菜炒め。最高でした。

高級料理店では、どんなにおいしいのだろう?と思いました。

中国の民意事情

私は観光人だったため、さまざまな場面でお金をまきとろうとする中国人がいました。

態度も悪いです。

上海のホテルの受付カウンターではお釣りを投げられるように返されたこともあります。

ひどく不愉快でした。今でもはっきり覚えています。

旅行者にはそんな態度の中国人。もし、家族や知人が中国に行きたいといったら迷わず止めます。

ですが、中にはいい人もいました。

広州での好青年。

また、夜中に到着した桂林でも、夜中にかかわらず宿探しを無償で手伝ってくれたおじさんもいました。

 

ですので、この言葉に着きます。

・観光業にたずさわる中国時は最低。
・そうでない中国人は、親切。

私は、こう感じました。

 

次は東南アジア編です。

 

この旅行記はシリーズで書いています。

第一話:大沢たかおの深夜特急に憧れ、2002年にユーラシア大陸横断一人旅をした時の旅行記。

第二話:ユーラシア大陸横断の旅行記。~中国編:2002年当時のディープな生レポート~

第三話:ユーラシア大陸横断の旅行記。~東南アジア編:2002年当時のディープな生レポート~ 

第四話:ユーラシア大陸横断の旅行記。~インド、ネパール編:2002年当時のディープな生レポート~

第五話:ユーラシア大陸横断の旅行記。~中東:トルコ編:2002年当時のディープな生レポート~ 

第六話:ユーラシア大陸横断旅行記。~東ヨーロッパ編:2002年当時のディープな生レポート~

第七話:ユーラシア大陸横断の旅行記。~ポルトガル編:2002年当時のディープな生レポート~ 

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